文庫版「ローマ人の物語 終わりの始まり」を読む


著者:塩野七生
出版社:新潮文庫

文庫版で読んだため、29巻(上)、30巻(中)、31巻(下)に相当する。

見開き要約

<29巻(上巻)>の見開き要約

ローマ人の物語――なぜ哲人皇帝の時代に衰亡は始まったのか。

2世紀後半、五賢帝時代の最後を飾る皇帝マルクス・アウレリウスが即位した。弟ルキウスを共同皇帝に指名した彼に課されたのは、先帝たちが築き上げた平和と安定を維持することであった。だがその治世は、飢饉や疫病、蛮族の侵入など度重なる危機に見舞われる。哲学者としても知られ賢帝中の賢帝と呼ばれた彼の時代に、なぜローマの衰亡は始まったのか。従来の史観に挑む鮮烈な「衰亡史」のプロローグ。

<30巻(中巻)>の見開き要約

ローマ人の物語――戦地で没した賢帝の悲劇。そして、世襲が招く混乱。

弟ルキウスの死後、単独の皇帝として広大な帝国を維持すべく奮闘するマルクス・アウレリウス。その後半生は蛮族との戦いに費やされ、ついにはドナウ河の戦線で命を落とすという運命を辿る。さらにマルクスは、他の賢帝たちの例に従わず、後継者に実子コモドゥスを指名していた。そしてこれが、コモドゥス即位後の混乱を生む土壌となる――「パクス・ロマーナ」はもはや過去のものとなってしまうのか。

<31巻(下巻)>の見開き要約

ローマ人の物語――「愚帝」暗殺後、帝国は内乱へ。命運を握るのは誰か。

失政を重ねたコモドゥスは暗殺され、ローマは帝位を巡って5人の武将が争う内乱に突入した。いずれもマルクス・アウレリウスの時代に取り立てられた彼らのうち、勝ち残ったのは北アフリカ出身のセプティミウス・セヴェルス。帝位に登った彼は、軍を優遇することで安全保障体制の建て直しを図る。だがそれは、社会と軍との乖離を促すものでもあった。衰亡の歯車は少しずつその回転を早めていく。




目次

<29巻(上巻)>の目次

カバーの金貨について
読者に
第一部 皇帝マルクス・アウレリウス(在位、紀元一六一年〜一八〇年)
 はじめに/育った時代/生家/子育て/少年時代/成人式/帝王教育/ローマ人のフィロゾフィア/
 ローマ帝国の安全保障史/次期皇帝マルクス/ローマ人の一日/師・フロント/結婚/ある疑問/
 皇帝マルクス・アウレリウス/二人の皇帝/皇帝ルキウス/飢饉・洪水/東方の戦雲/パルティア戦役/
 皇帝出陣/反攻開始/哲人皇帝の政治/ペスト/キリスト教徒/ゲルマニア戦役/ルキウスの死/戦役開始/
 「防衛線(リメス)破らる!」
図版出典一覧


<30巻(中巻)>の目次

カバーの銀貨について
第一部 皇帝マルクス・アウレリウス(在位、紀元一六一年〜一八〇年)(承前)
 ローマ人と蛮族/時代の変化/「マルクス・アウレリウス円柱」/ドナウ河戦線/前線の基地/蛮族のドミノ現象/
 謀叛/将軍カシウス/後始末/世襲確立/「第二次ゲルマニア戦役」/死
第二部 皇帝コモドゥス(在位、紀元一八〇年〜一九二年)
 映画と歴史/戦役終結/「六十年の平和」/人間コモドゥス/姉・ルチッラ/陰謀/初めの五年間/側近政治/
 「ローマのヘラクレス」/暗殺
図版出典一覧


<31巻(下巻)>の目次

カバーの金貨について
第三部 内乱の時代(紀元一九三年〜一九七年)
 軍団の“たたきあげ”/皇帝ペルティナクス/帝位争奪戦のはじまり/ローマ進軍/首都で/ライヴァル・アルビヌス/
 もう一人の“たたきあげ”/イッソスの平原
第四部 皇帝セプティミウス・セヴェルス(在位、紀元一九三年〜二一一年)
 軍人皇帝/思わぬ結果/東征、そしてその結果/故郷に錦/ブリタニア/死
年表
参考文献
図版出典一覧


感想

この巻から下り坂になってしまう古代ローマ。

しかし五賢帝でも評判の高い哲人皇帝マルクス・アウレリウスがなぜ? という疑問をまず抱いてしまう。
その答えは、実は前巻に最も幸福な時代といわれたアントニウス・ピウスの治世にあったというのだから皮肉だというしかなかったのだ。

逆にその前のハドリアヌスの評価がカエサルに次ぐぐらいに上昇したのは危機管理能力の高さゆえか、何かが起こる前に対策を万全にしていたから、つまり帝国をくまなく視察してまわったから というだったが、逆にアントニウス・ピウスは眼前の平和に満足してしまい、その先を見据えることが出来なかったということなのだ。

このように前巻の時点では何も欠点が見つからず、取り立てて言うことも無かったアントニウス・ピウスの評価が下がってしまったのが本巻の特徴とも言える。
そういう意味では終わりの始まりは実は前巻のアントニウス・ピウス時代に遡るという。ローマ自体が平和ボケしてしまっていたということだ。

さて、マルクス・アウレリウスだが、アントニウス・ピウス時代から次期皇帝として常に共に政務にあたったという実績抜群の状態で皇帝に就任した。
しかしながら長すぎる平和とローマから離れない統治手法によって学べなかったことに直面してしまったのだ。
それがパルティア王国との戦い、そしてゲルマンの蛮族との戦いの日々というわけだが、慣れない日々、そして謀反も起こる。
それでもマルクス・アウレリウスは長年の善政を支え、軍団兵との関係も良好だった。まさに尊敬された皇帝だったのだ。

終わりの始まりというが、マルクス・アウレリウスがアントニウス・ピウス並に長生きで活躍を続けたとしたら、おそらく歴史は大きく代わっていただろう。

というのも次のコモドゥスの問題点は若すぎる皇帝就任という点もあったからだ。これが20年後に責任ある皇帝就任となっていればまるで別物になっていたはずだ。
残念な姉の裏切りも無く、その後の悲惨な評価も無かっただろう。そして必然的に内乱状態に陥ることも無かったはずだ。


(2013年7月記す)




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