文庫版「ローマ人の物語 危機と克服」を読む


著者:塩野七生
出版社:新潮文庫

文庫版で読んだため、21巻(上)、22巻(中)、23巻(下)に相当する。

見開き要約

<21巻(上巻)>の見開き要約

ローマ人の物語――皇帝が次々と倒れる危機。帝国は正念場を迎えた。

失政を重ね帝国に混乱をもたらしたネロが自死した翌年(紀元69年)、ローマには三人の皇帝が現れては消えた。ガルバ、オトー、そしてヴィテリウス。初代皇帝アウグストゥスの血統ではない彼らに帝国の命運が託されたが、傲岸、生硬、怠惰という各人の性格に由来する統治力のなさが露呈、いずれも短期間で破滅した。さらにその間、軍団同士が争う内戦状態に突入し、帝政始まって以来の危機的状況に陥る。果たしてローマ人はこれをいかに乗り越えたのか。

<22巻(中巻)>の見開き要約

ローマ人の物語――窮地の帝国を再建した「健全な常識人」皇帝。

三人の皇帝が相次いで倒れ、帝政ローマの統治機構に制度疲労が生じ始めていた頃、それを裏付けるように、辺境で異民族の反乱が勃発した。西方のゲルマン系ガリア人が独立を宣言したのだ。一方、東方ではユダヤ人が反抗を続け、帝国は一層窮地に立たされる。この苦境の中に帝位へ登ったヴェスパシアヌスは、出自にも傑出した才能にも恵まれていなかった。しかし時代が求めた別の資質、「健全な常識人」を武器に、彼は帝国再建に力を注ぐ。

<23巻(下巻)>の見開き要約

ローマ人の物語――元老院から報復を受けた実力皇帝の功罪とは何か。

ヴェスパシアヌスの長男として皇位に就いたティトゥスは誠実を身上とし、ヴェスヴィオ山の噴火によるポンペイの全滅、そして首都ローマの火災という惨事にも対策を怠らなかった。しかし、不運にも病に倒れ、その治世は短命に終わる。続いて皇帝となった弟ドミティアヌスは、死後「記録抹殺刑」に処せられる。帝国の統治システムを強化し、安全保障にも尽力したにもかかわらず、なぜ市民や元老院からの憎悪の対象になったのか。




目次

<21巻(上巻)>の目次

カバーの銀貨について
はじめに
帝政初期皇帝一覧
フラヴィウス朝略系図
第一章 皇帝ガルバ(在位、紀元六八年六月十八日〜六九年一月十五日)
 ネロの死が、ローマ人に突きつけた問題/人心掌握の策/協力者人事/
 ヴィテリウス、皇帝に名乗りをあげる/ガルバ殺害
第二章 皇帝オトー(在位、紀元六九年一月十五日〜四月十五日)
 人間オトー/「ライン軍団」対「ドナウ軍団」/武力衝突に向けて/大河ポー/
 「第一次ベドリアクム戦」/オトー自死
第三章 皇帝ヴィテリウス(在位、紀元六九年四月十六日〜十二月二十日)
 敗者の処遇/シリア総督ムキアヌス/エジプト長官アレクサンドロス/ヴェスパシアヌス、皇帝に名乗りをあげる/
 本国イタリアでは/帝国の東方では/「ドナウ軍団」/「第二次ベドリアクム戦」/ヴィテリウス殺害
図版出典一覧


<22巻(中巻)>の目次

カバーの金貨について
帝政初期皇帝一覧
フラヴィウス朝略系図
第四章 帝国の辺境では
 属州兵の反乱/ユリウス・キヴィリス/攻めこまれるローマ兵/「ガリア帝国」/ローマ史はじまって以来の恥辱/
 反攻はじまる/勝利と寛容/「ライン軍団」再編成/ユダヤ問題/反乱勃発/ユダヤ人ヨセフス/
 ユダヤ戦役/予言/戦役中断/戦役再開/イェルサレム落城
第五章 皇帝ヴェスパシアヌス(在位、紀元六九年十二月二十一日〜七九年六月二十四日)
 ローマへの道/帝国の再建/人間ヴェスパシアヌス/「皇帝法」/後継者問題/元老院対策/
 人材登用/「騎士階級」と平民への対策/ユダヤの王女/コロッセウム/財政再建/
 「パンとサーカス」/教育と医療/財源を求めて/死
図版出典一覧


<23巻(下巻)>の目次

カバーの金貨について
帝政初期皇帝一覧
フラヴィウス朝略系図
第六章 皇帝ティトゥス(在位、紀元七九年六月二十四日〜八一年九月十三日)
 ポンペイ/現場証人/第一の手紙/第二の手紙/陣頭指揮/死
第七章 皇帝ドミティアヌス(在位、紀元八一年九月十四日〜九六年九月十八日)
 「記録抹殺刑」/人間ドミティアヌス/ローマの皇帝とは/公共事業(一)/給料値上げ/
 「ゲルマニア防壁」/カッティ族/内閣/司法/地方自治/公共事業(二)/ナイター開催/
 ブリタニア/ダキア戦役/反ドミティアヌスの動き/幸運の女神/平和協定/一つの「計器」/
 教育カリキュラム/恐怖政治/「デラトール」/「終身財務官」/暗殺
第八章 皇帝ネルヴァ(在位、紀元九六年九月十九日〜九八年一月二十七日)
 ショート・リリーフ/トライアヌス登場/ローマの人事
〔付記〕一ローマ詩人の生と死
年表
参考文献
図版出典一覧


感想

誰からも嫌われたネロが自死に追いやられた結果、皇帝に推挙されたのは老人とも言える スペイン方面の属州総督だったガルバだったが、結局は皇帝として全てを統治を行う能力については ネロ以上に欠いていた。西や北の属州総督出身としてはオトー、ヴィテリウスについても同様だった。 一時的な軍事的な勢いがあったにすぎず、まるで継続しなかった。 最終的な勝者になったのが、東のイェルサレムやシリア、エジプトなどを 抑え、家柄はB級といっても良いヴェスパシアヌスだった。 ヴェスパシアヌスはムキアヌスやアレクサンドロスといった優秀な協力者にも恵まれたこともあり、 帝国の安定的な統治に成功。その後もティトゥスとドミティアヌスといった優秀な息子たちによって 安定統治されたはずだったが・・・。 ドミティアヌスの不遇については、著者によって相当弁護されている。 実際にそんなおかしなことはしていない上に、ローマ帝国の防衛ラインの強化 という偉業も成し遂げている。それにも関わらず記録抹殺刑なのだから、西洋研究者の一種の偏りに対する非難も含まれているのだろう。 ネルヴァが五賢帝に数えられているのも本書を読む限りは首を傾げざるを得ないだろう。そもそも一年半しか帝位に就いていないではないか。 いかに中身のない固有名詞だけを覚えるだけの知識に意味が薄いことを示してくれる。

(2013年1月記す)




戻る